散骨の不安点

樹木墓は、様々な埋葬の仕方があり、骨壷をそのまま樹木の下に入れることで埋葬する場合もあれば、直接遺骨を木下に巻くことで散骨をするというケースもあるようです。このような場合ですと、他の人の骨と一緒に混じることになるため、そのようなものがあまり望ましくないという風に考えている人であれば、骨壷を木に置いてもらうというケースを取るのが良いのではないかと考えられます。いわゆる、自分自身が自然に帰るという考え方を強く持っている人であれば、木の根元に直接埋葬されるということが理想である、というふうに考えていることが多いかと思われますが、様々な理由から数十年後に改めて埋葬し直したいという風になった場合には、骨を取り戻すことができないため、取り返しがつかないということも注意点の一つであるという風に言えるかもしれません。樹木墓だけではなく、散骨の方法は様々で自分が好きだった山に散骨して欲しいとか、広い太平洋の真ん中で散骨をしてほしいというようなお願いを生きているうちにする人がいるようです、が、実際にもう一度埋葬し直したり、親戚の意見が変わったりした場合などに骨を取り戻さなくてはならないもう一度墓を掘りを起こさなくてはならないというようなケースは、決して珍しくありません。そのような際に骨がないという風になってしまうと、まずいわけでしっかりと親戚などと相談をした上で十分に、子供や下の世代の承諾を得た上で実行することが重要だということは言うまでもなく考えられると言えるのではないでしょうか。樹木墓は公園も兼ねることができるため、今後都内などでも広がっていく見込みがあるという風に言えそうです。

墓の不足

ある民間団体の調査では、都内で10万人ほどが1年間に亡くなっているという風に言われており、そのうちお墓を都内に建てたいと考えている人は、2万人以上に上るため途中準備する手筈が整わず骨壺をいつまでも落ち着いた場所に安置することができないというケースがあるようですね。現在では1年間に東京都内なので新たに提供することが出来るお墓は1万にも満たずほとんどは東京都の外や東京郊外にお墓を新たに探さなくてはならないという事態に直面していることはあまり知られておらず、実際に、自分の近しい人が亡くなり墓を探すという風になってから、このような問題に気づく人が多いという風にも聞いたことがあるような気がします。そのような中で、最近、東京都が経営する霊園などが多数の募集を出したのも、東京都の納骨スペースの不足を物語っているものであるというふうに考えて良いのではないかと思われます。自分自身が思い描く、理想のお墓としてどのようなものが良いのかということを考えた上で、その理想のお墓に一致するものが果たしてスペースが空いているのかということも考えなくてはならない、ということは完全に需要と供給が合っていない部分があるかもしれませんし、今後は、高齢化社会に伴って、お墓を準備する数も当然のことながら増えていくことが予測できるわけですから、このような傾向が力強く続いて言ってしまうというふうに、考えられることは間違いありません。最近では、都内であれば、奥多摩の霊園などが人気で、春になれば桜の木が咲き誇るなど気軽に親戚などが足を運びやすい点もポイントとして高い、という風に言われているようです。

日本の風葬は竹やぶだった?

日本は風葬が主だったという説があるそうです。
例えば葬式の「葬」の字。くさかんむりに死とついていることから、土の中に埋めるのではなくて、草の上に遺体を置いていたと考えられるとか。
また葬るには「ほうる」という古い語源があるそうで、この意味は「放る」に近いそうです。
放るとは遺棄ということで、遺体を風葬していたのではないかと考えられるというのです。
どこで風葬をしていたかというと、集落の近くの山の麓だそうです。
なぜ山かというと、霊山として日本には多くの山岳信仰があるからだそうです。
山の麓に遺体を遺棄するのは、山の麓の背後には浄化された魂である岳があるということ、先祖の魂が坐す高みの場所ということでの「岳」があるからということのようです。
日本の山の麓というのは、竹林があります。日本の風土というのでしょうか、山の麓には竹林があるという風景をよく見るかと思います。
そのため、山の麓に遺棄するということは、竹林に置くということになるようです。
お盆休みのことを「藪入り」と言ったりしますが、田舎への帰省でヤブの中に入って先祖供養をするという意味ではないかという人もいます。
京都の化野念仏寺には、風葬の痕跡がはっきりわかるところがあるそうです。
化野念仏寺の周りは美しいことで有名な嵯峨野の竹林があります。
また、焼香具や提灯立てなど、葬式に関するもので竹で作られているものはたくさんあります。
今は竹やぶに遺体を遺棄したら、死体遺棄罪で逮捕されてしまいますが、昔は竹やぶの風情も手伝って厳粛なムードが漂っていたかもしれませんね。
映画でインディアンの風葬を見たことがありますが、明るい雰囲気でした。
死というものは宗教や民族によっていろいろな捉え方があるのだなと思える光景でした。

お墓がある人が抱える不安

お墓がある人にとってもお墓の継承は不安なものです。

また、一人娘が嫁いだら、お墓を継ぐ人はいなくなるという心配をするご家庭もあるようです。

またお墓までの距離が遠すぎて、年に一度のお参りすらままならないという話もよく聞きます。

お墓があっても、お墓を託す子どもたちのことが心配なようです。

親がお墓のことを託しても、親はお墓に入っているので、結局は子どもたちにすべて任せることになるかと思います。

その子どもたちがどのように継承していくかを考えても仕方ないかもしれません。

親がいくら実家の墓に入りたいといっても、その子どもたちが遠くに住んでいたらお墓を守るということができなくなる場合もあると思います。

実際、世話ができなくなったお墓が朽ち果てて放置されているというニュースも見かけます。

もし親との話し合いができるなら、お墓の継承問題も話し合った方がいいのかもしれません。

改葬や分骨を考えたり、檀家と菩提寺を引き継ぐかどうかも話し合うべきです。

そして存続していくコストがどれだけ必要なのかも家族で考えたほうがいいといいます。

ただ、親に将来無縁墓になるかもしれないから、という話もし辛いものです。

親、そして自分たち世代、その子ども世代とお墓はずっと継承されるものと考えられていましたが、決してそうではないということもわかり合う必要があると思います。

いろいろな形態のお墓があるので、考えてみるのもいいかもしれません。

田舎に先祖代々のお墓に入れる場合もありますし、お墓の整理をする必要が出てくることもあります。

親族との調整もありますし、親戚との兼ね合いもでてくるかもしれません。

お墓を継承するということを真剣に考える必要もあるようです。

意外にお墓がない人が多い

二〇〇八年現在、都内でお墓を持っているという人は約六割だそうです。
四割は持っていないということになりますが、今は持っていなくてもいずれお墓を買つもりという人はこのうちの六割ほどだそうです。
お墓を欲しいと思っていても、供給できる数は希望数の三割程度だそうです。
ほとんどの人がお墓を欲しいと思っても持てない時代のようです。
需要と供給のギャップは大きいと言えますが、反面、人口減少が続いているために、ピークを超えるとお墓も余ってしまうのかもしれません。
また購入するにしても、お墓は守ってもらわなければならないと思います。
それは子ども世代なわけですが、お墓に入る人が場所を選ぶより、守ってくれる人の都合で選ぶ方がいいのかもしれません。

お墓というのはアクセスが大切だと思います。
アンケートでもお墓を求める場合に重要視するのはアクセスが一番に来るそうです。
お墓を守るべく子どもたちの生活圏から遠く離れた場所では、お墓参りすらいけないということになりそうです。
価格も気になりますが、利便性や距離はとても気になるところです。
お墓を守るというのは一生のことです。時折、山奥にお墓があることがありますが、車が運転できるうちはお墓を守ることができても、自分が高齢になって歩くのも大変となってくるとどうにもならない状態になってしまいます。
また親子で信教が違う場合があるかと思います。
そうなると、菩提寺も違えばお墓も違うとなってしまいます。
宗教不問の霊園もあるようですので、親子で話合う必要があるかと思います。
霊園の広告というのはよく見ますし、それをきっかけにお墓のことを話し合うのも良いと思います。
できればお墓の継承が負担にならないようにしたいものです。